うれしかった。
籠に入れられた鳥は いつしか自由を失ってた
ある朝 飛び出してみたけれど もう飛べなくて..
大阪城ホール1日目の夜
この2行の くろだくんのうたい方が、今までと全く違っていた。
それが、すごく すごくうれしかった。
どんなうたい方だったのかはよく思い出せないけど、くろだくんがあんな風にうたってくれたことがうれしかった。
空いた1ヵ月考えて考えて出た答えだったのか、そのときの気分だったのか、
どちらにせよ、うれしかった。
捉え方かなあ。
歌詞はいつまでも変わらないけど、
でも、いつも違っていて。
それをライブで感じられたし、今回はくろだくんとわたしがよく合ってた。←
ずっと書き残しておきたかったこと。
タイトルのテキトーさが目立ちますが、それくらいうれしかったのでした。
タイトルを決めるのが一番苦手です。
おやすみなさーい。
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どの公演でも、何か妙に心に引っかかる..残るフレーズがあって。
この夜は、水面の蝶の
人を愛し抜くため 生きてるのさ ただ一つの命で
でした。
とおく なみに おどる ひかり
うみは はじめて ぐりと ぐら
なみに ゆられて
だいぼうけん
あわてちゃ だめだめ ぐりと ぐら
のんびり いこう
どこまでも
わたしの尊敬する先生の一人である 児童文化の先生は、
絵本のことを、「絵と文章によって展開するもう1つの世界」と呼ぶ。
目から鱗。
ぐりとぐらのかいすいよく
赤と青、色違いのしましま水着の浮き袋。
この昭和チックな感じ、好きです。
まるで小さな生き物のようでした。
久々に、本棚から引き抜いた。
未来への手紙
『未来の自分に、手紙を書こう。』プロジェクト編
わたしの力んだてのひらと変色した爪からもお分かりいただけるように、これ、かなり分厚く重いのです、、。(笑)
アンジェラ・アキさんの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」といううたを元に始まったプロジェクト。そのプロジェクトに応募された手紙の中から、3人の選考委員によって選ばれた100通の手紙が1冊の本になったもの。その選考委員のうち2人が、アンジェラ・アキさんとあさのあつこさん。だいすきなお二人。もっともお二人は“選ぶ”という感覚では読まれていないそうですが。
100通の手紙があり、100通りの手紙がある。
見ず知らずの人の 未来の自分に宛てた言葉やのに、何故か涙が出そうになるねんなあ。そこにはたしかに一人ひとりの人間が存在していて、生きてきたストーリー 人生があって。
言葉の節々、文字の綴り方、便箋の選び方、全てが個性に満ち溢れていてね、ってアンジェラは書いてる。ああ、そうだなあって。わたしが今まで出会ってきた人やものや言葉たち、風景、経験、いろんな気持ち、考えたこと、それらが今のわたしを構成していて、そして、それらが節々に出る。....出てしまう。
言葉から自分を変えていけると思っているけど、いや、そうであってほしいなあと信じているんだけれども、繕うものじゃない。おまけに、一度口から出た言葉は吸い込めへんねんからなあ。....恐ろしい。
でも、言霊って言葉があるように、言葉にはほんとうにPOWERが宿っている。
特に、昔の自分の言葉。
アンジェラも書いているように、昔の自分の言葉が妙に心に引っかかったり、腑に落ちたり、今の自分にとってのヒントになるものがあったり、ドキリとしたり心が動いたり。誰のどんな言葉よりも説得力があったりする。
だからこそ、怖がって言葉にすることをやめてしまうのではなくて、言葉を大切に使い続けていきたいなと思う。
手紙に体温があって、息づかいがあって表情があって、命がある。
まるで小さな生き物のようでした。
あさのあつこさんの この表現なんてもう....溜め息が出ませんか....。わたしとおんなじ日本語を使っていらっしゃるのですよね....?って思わず訊きそうになる。
手紙から息づかいを感じられる感性。ああ、素敵....。わたしもそんな繊細な感性を持っていたい。だから、今年の夏はインプット!感性を磨こう!活動に励むのです。このブログも活動の一環だったり..する。(笑)
日本語って面白いな~~と最近、つくづく思う。
ひらがな、カタカナ、漢字、ときにはそこにアルファベットも入りまじる。句読点も組み合わせようによっては無限大、、!(こぶちくんから学んだ。こぶちくんと言えば、泣きながら君がくれた手紙 財布の隅においてある 懐かしい声をなぞるような丸文字に って、これはたとえだって言ってたよねえ....。)
字から言葉の温度が感じられる。他にはなかなか無いと思う。
..日本語って面白い。そんなことに気付けたのも、言葉を大切にしている人たちに出会えたからやねんけど..ね。
ああ、寝られへん。
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初めて、
何かを途中で辞めた。
今の大学に入学して出会ったサークル。
先輩方の人形劇を観て、人形がほんとうに生きてるみたいやってめちゃくちゃ感動して、どうしようもなくなって勢いで入部した。もともと、サークルなんて入るつもりなかった。
それからこの1年と少し、わたしからサークルをとるとなんにも残らないんじゃないかってくらい打ち込んだ。
辞めようと思った理由。
忙しすぎたから、なんじゃないんかな。あまりにもサークルばかりで、要領の悪いわたしは、他のことができなかった。それでもいいって思えたのなら、辞めなかったと思う。けど、わたしはこの2年間で他のこともしておきたかった。
今は、はっきりそう言える....なあ。
今まで、辞めたいと思う瞬間が何度あっても、どんなにしんどくても、何かを途中で辞めたことが無かった。吹奏楽部も筝曲部もピアノも。
だから、辞めるって逃げるってことなんじゃないか、とも考えたし、辞めることでわたしが失うものはあまりにも大きすぎるのかもしれないと迷った。ずっと、ずーーーっと考えてもやもやして塞ぎ込んで、何をしていても頭のどこかに懸念があって、
二十歳にもなって、自分のことをどうしたらいいかわからず、どうどうめぐり。練習に行くと気持ちが揺らぐ。でも、一度辞めようと思った故 サークルの“これから”の話し合いに交るのは、もうしんどい。はっきりできないまま練習にも1年生の公演にも顔を出さず、ずるずると中途半端なままにして逃げ回ってた。
ほんとうに逃げ回ってた。
大学で、堂々と前を向いて歩けなかった。なんにも知らないみんなが、先生や先輩までもが、「いつも練習お疲れ様」「今から練習?」なんて声を掛けてくるから、そのたび曖昧に返事をして、逃げるようにその場を去ってた。
朝から大学に行かず自分の部屋で1日中ぼーっとする日が増えた(そのつけが今まわってきて、死にもの狂いの日々)。熱に浮かされたかのようにライブに行って、ツイッターでコブクロコブクロって連呼してた。唯一考えなくてもいい時間だったから。忘れられる時間だったから。本にも逃げた。このまま逃げ切れるわけないとわかっては いたんやけどなあ。
練習に行かなくなって1ヵ月が経った頃、たのしそうに劇の練習をしている仲間の姿を見掛けた。きらきら輝いていて眩しくて、たった1ヵ月離れただけなのに、随分遠く感じた。
サークルを辞めることが、きらきら輝ける自分で居るための選択肢だと思っていたのに、そうじゃないのだとしたら、わたしは今何をしとるんだろうって。辞めるのならば、絶対に後悔しないように羨むことのないように全力で他のことするんだ、って決めたのに、結局どうすることもできずに中途半端なままの自分。
そんなときに、わたしがサークルを辞めるということを又聞きしたらしいゼミの先生から「辞め..たって本当なの?」って訊かれたから「はい。顧問の先生にはこれからお話するつもりです。」と答えたら、第一声が「なんで?」「それは就職に有利なの?」。
これは......参ったなー。耳を疑ったよ。あさのあつこさんの言葉をお借りするならば、「わたしの内に渦巻いた感情は、殺意に近いものでした」。
就職に有利だから、と思ったことなんて一度もありません。
それだけは 言えば良かった。脆くも大切に握りしめてきたものを潰されてしまいそうになった気がした。
昨日、ようやく顧問の先生とお話ができた。
絶対に泣かないって心に決めて研究室の扉をノックしたのに、先生の顔を見た途端涙が溢れてきそうで、そうしたら、もう先生はわたしが何を話しに来たのかわかっていらっしゃって「トイレに行ってくるから、そこに座っといて。」って。頬っぺた叩いて上向いて深呼吸して、、いざ言おうとすると
あ、あのぉ゛っ(既に泣いてる)
先生がちょっと笑ってティッシュの箱を前に持ってきてくださるから、涙も鼻水もだだ流しでした........
悩みだしてから、サークルの話をする度に 何の涙なのかわからない止まらない涙が出てくるからほんとうに困っていたんだけれども、先生はそれでも話を聴いてくださってうれしかった。
わたしの、このずっと抱えていた気持ちを、支離滅裂なわたしの言葉を、サークルへの思いを、こんなにちゃんと受け止めてくれたと感じたのは、先生がはじめてだった。はじめてスッキリした。
それは、先生がほんとうに劇を好きだから。幕がしまったときの達成感や喜びを、おんなじように味わった人として、「ね。たまらないね。やってみなきゃわからないことだから。」ってわたしに話してくださるから。
「やってて、克服したことやあなた自身変わったことがあるでしょう。」
その一言がどれほどうれしかったか。わたしは、履歴書の一行のためにしてきたんじゃない。もっともっと大切なものをたくさん得たんだ、って、言いたかったことをわかってくれていた。
はじめて公演の司会をやったときの舞台からの景色も、子どもたちの笑顔も、悔しくてぼろぼろ涙が出た日のことも、出会えたたくさんの素敵な人たちや知らなかった世界も、向いてないなあなんて思いながらも乗り越えてきたことも、殻を1枚破れたな自分、と感じたときのことも、全部全部抱きしめてくれた。
一緒にこれだけしんどい“仕事”をしていたら一生の友達になるからね。
あなたはじわじわ上手くなるね。だからもったいないけどね。
引き止めることはできないけど、嫌いじゃないのなら、公演とかの手伝いに来てね。いつでもウェルカムだから。
先生とお話をして、はじめてスッキリした。もやもやしてるうちに季節変わってたけどね。ようやく晴れた。辞めたからと関係を断ってしまうのではなく、ちょっと外から見守って関わっていける立ち位置を探せたらいいなって思った。
帰り際、
「練習にこなかったこの1ヵ月、やりたいことしっかりやれた?」
って先生に訊かれた。だめでした、もやもやしていろんなことの狭間で逃げ回ってましたってはじめてちゃんと言えた。この意地っ張りのわたしが(笑)
「だろうね。見掛けた背中がうろうろしてて困ってたもん。....背中で演技してたよ(笑)ほんとにもう~~もっとはやく来なさい。」
背中で演技してたよ。....(号泣)
あれ....何が書きたかったんだっけ....
....まあいいや。
スッキリした。
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指先じゃ その心に届かない?
機械オンチの面倒くさがり屋、ブログを開設いたしました。よう~~やく!!!
久々にPCを立ち上げました。コーヒー片手にキーボードをカタカタと叩いています。
最近、書き留めておきたい!と思うことがたっくさんあったから、いざ書くとなると、なににしようかなあ....と。
うーん。
あ、初更新に少しちなんだ話にしようかな。
いつだったか、こぶちくんがブログにこんなことを書いていました。
「――例えば、手書きで歌詞を書くか?PCで歌詞を書くか?にも言える事があって、手書きだと、思ったそのままですが、PCだとアルファベットで指で変換するでしょ?あれはあれで、手書きよりもはかどったりするんです。どっちが良いのかは、その時々ですね。」
これ、とってもわかる気がして。
わたし、ほぼ毎日B5の大学ノートにボールペンで日記を書いているのだけれど(着々と増えていくノートたち....もう何冊目になるんやろう)、
やっぱりこうして活字に変換して言葉を紡ぎたくなるときがあるのです。
キーボードを叩く、アルファベットに変換する、指先で打つ、
そんなワンクッションを挟むと、ぽろぽろと言葉が出てきたり....する。
書きたいときに書きたいだけ書きたいことを書け留められる、場所になっていったらいいな。写真もたくさんあげていきたい....📷✸
ブログ再ブーム巻き起こそうぜ....
ということで、タイトルはまだ無いけれど
どうぞ よろしくお願いします。
つづく
....かも。